読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子を信じるということ

このエントリー読んで、こんな形でいじめが解決することもあるんだなぁ、と素朴に感じた。
一方で、いじめの解決につながった、いじめっ子の親が発したこの言葉に、もやもやした。
「うちの娘はいじめなんてしません!私は娘の言葉を信じます!」
この盲目さが、結果的にいじめをやめさせた訳だけど、そもそも、いじめっ子が生まれた一因にもなったのではないか、と。

確かに、親が子を信じることは、大事なことだし、その子の自己肯定感を育む土壌でもある。
でも、それは、その子の良いとこも悪いとこもひっくるめて分かっていて、その上で、その子の味方であり続けるという意味の、信じることなんじゃないかなと思う。
また、それは、決して清濁併せ呑むのではなく、その子が悪いことをしたかどうかを見極めた上で、悪いことは悪い、そうでなければ信じ抜くという、その子を肯定することなんだと思う。

それに対して、盲目的に「娘の言葉を信じます!」と言い切るのは、「娘が悪いことをするはずがない」という単なる親の期待を押し付けているだけであって、当の本人からしたら「やっぱり、わかってない」 感を募らせるだけなのではないか、と。
そして、その子が、親の期待に応えるだけの能力があればあるほど、歪んだ形で自己肯定感が欠如してしまい、潜在的にいじめっ子になりやすいのではないかと邪推した。

 

今回の場合は、いじめっ子とはいえ心の優しい子だったから、親の期待にプレッシャーを感じたことで、いじめをやめることにつながり、めでたしめでたしだった。
でも、これが心の優しさを忘れてしまった子だったら、どうなったのだろう。

二人の子を育てる親として、自戒の念も込めて、書き残してみた。

おしまい。